実はバリエーションが豊富だった!江戸っ子が愛用したトレンド草履7選

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    2022年1月28日 22:00
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    フォーマルからカジュアルまで、さまざまなシーンで着用される和装の定番の履物・草履。
    その歴史は古く、平安時代にはすでに一般的な履物として庶民の間にも普及していたそうです。当時は藁などで編んだ簡易的な作りで、足を守り、歩行を助けるという実用的な役割のみを担うものでした。現代のように履き心地やファッション性を加味した草履が登場したのは江戸時代のこと。世界でも稀に見る庶民(町人)文化が開花し、芸能やスポーツ、グルメ、ファッションなどといったカルチャーが発展していく中、草履においてもさまざまなトレンドが生まれました。
    今回は、そんな江戸時代に流行した数ある草履の一部をピックアップしてご紹介します。

    シンプルなものから厚底まで!江戸のトレンド草履

    1.洗練された都会の履物・竹皮(たけかわ)草履

    京草履  曳尾庵『我衣鈔 12巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
    京草履 曳尾庵『我衣鈔 12巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)

    主に藁で作られていた草履ですが、元禄期(1684年~1704年)になると江戸・京・大坂といった都会地では、竹の皮を細紐で編んだ竹皮草履がトレンドに。特に京都産の淡竹(はちく)を使ったものは京草履と呼ばれ、品質のよい上モノとして評判だったそうです。
    2.やんちゃな江戸っ子が粋を競った雪駄(せった)

    主に和装時の男性用の履物として現在も使われている草履の一種。台の裏に革を張ったもので、元禄期に登場しました。その後、鉄片をかかと部分に打ち付けたものが流行。見栄えもよく作りも丈夫なうえ、チャッチャッと音がするのが粋だとされ、大工の棟梁やトレンドに敏感な若者を中心にもてはやされました。

    3.贅沢な掛流しタイプの中抜草履

    元禄期に流行したもので、一度履いたら二度とは履かない履き捨て(掛流し)の草履。当時は贅沢なものとされていたので、武士や有力な町人など一部の人々の間でのみ使われていたそうです。享保期(1716年~1736年)以降は流通量が増えて価格も手ごろになったため一般にも普及し、大衆的な草履のひとつとなりました。

    4.トレンド感度の高い女子に愛された縁取(ふちどり)草履

    喜田川季荘 編『守貞謾稿. 巻30』(国立国会図書館デジタルコレクション)
    喜田川季荘 編『守貞謾稿. 巻30』(国立国会図書館デジタルコレクション)

    享保年間に、新しいモノ好きで贅沢を好む女子の間で人気を博した草履。藁の穂首を編んだ表に、ビロードなどでヒダを取りながら台の周りを縁取り、表が少し覗いたデザインになっているのが特長です。寛延の禁令によって一旦は姿を消しますが、その後再び未婚女性の間でトレンドに。文政期(1818年~1831年)以降のものはヒダをとらずにビロードの中央を細く裁ち除いて端を折り返したデザインだったそうです。

    5.まるで厚底サンダル!? 遊女もハマった重ね草履

    歌川国貞(初代)・歌川国久『江戸名所百人美女 千束』(国立国会図書館デジタルコレクション)
    台を複数枚重ね、最上段に藺草で編んだものをのせた厚底サンダルのような草履。延享期(1744年~1748年)頃に三枚裏付草履として流行し、派手好きな女子たちに好まれたようです。寛延の禁令によって規制が入って以降は、主に上級社会の上草履として用いられるようになりますが、安永・天明期(1772年~1789年)頃市井の女子の間で再燃。後に花魁や遊女の上草履として明治時代まで使われていました。

    6.松平定信がイチオシしたシンプルな越中草履

    藁を編んだ表に薄い革を貼り付け、紙捻り(こより)の前緒に白木綿の鼻緒をすげて、かかとに鋲を打ったシンプルな草履です。これは越中守とも呼ばれていた松平定信が、寛政の改革で倹約に取り組んだ際、自らが用いて人々に推奨したもの。普段履き用としてのほか、遠出の際にも使われていたそうです。

    7.男女で素材が違った!?二枚裏附草履

    竹皮の表と裏の間に獣皮を挟んで作ったもので、元文~安永期頃(1736年~1772年)まで一般的に用いられていた履物のひとつです。男性物には真竹や淡竹で作った表が使われていましたが、竹は少々いかつい雰囲気になってしまうので、女性物には藁の穂首で編んだ表を使用。男性のものより柔らかな風合いのものだったようです。

    番外編:トイレ用の厠(かわや)草履

    江戸時代は庶民の間にも衣食住が整備され、現代に近い生活スタイルが整った時期。それに伴って用途に応じた履物も作られるようになりました。その一つがトイレ用の草履。主に藺草で作った薄手の草履や、平安時代の頃から続く金剛草履などが使われていました。

    金剛草履  曳尾庵『我衣鈔 12巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
    金剛草履 曳尾庵『我衣鈔 12巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)

    今までにない草履のバリエーションを生み出した江戸っ子イズムは、以降も脈々と受け継がれていきます。明治時代には袋物の原料であるパナマを使用した空気草履をはじめ、ゴム裏の草履やコルク草履など新たなアプローチによるアイテムが登場。

    昭和期に入ると、布切れで台を包んで底にフェルト地を貼った裂地(きれじ)草履や、春夏用として売り出されたパナマ草履などが流行しました。現在も革や畳表、帆布素材のものなど、TPOにあわせて多彩なアイテムが展開されており、和装に欠かせない履物として私たちの足元を支えています。

    江戸っ子もびっくり!?令和版次世代草履が登場

    そして令和の時代に入った今、草履が新たな進化を遂げようとしています。 京都に店を構える『履物 関づか』。
    誂えの草履を作り続ける老舗で修業を重ねた職人・関塚真司氏によるブランドです。

    履物のデザインから製造、販売、オーダーメイドの受注、購入後の調整・修理までを一貫して対応しています。

    "靴ではない日本の履物"をテーマに新たな草履の在り方を追求し、定番の草履はもちろん、サンダルタイプやルームシューズ用の布製タイプのものなど多彩なアイテムをラインナップ。和装だけでなく洋装にあわせるスタイルも提案しています。

    このように、藁で作られていた時代からほぼ形は変わっていないのに、確実に進化し続けている日本の伝統の履物・草履。
    今日まで受け継がれてきた草履の伝統技術と令和の感性が今後どんな化学反応を生み出していくのか。
    古の草履トレンドに思いを馳せながら、江戸っ子も驚くような令和の草履に、ぜひ注目してみてはいかがでしょうか?

    (上写真)「履物 関づか」さんでは様々なタイプの履物を作られています。

    「履物 関づか」について

    京都・祇園町の誂え草履の老舗で十数年の修行を重ね、確かな手仕事で美しく履きやすい履物を作られる関塚真司氏。

    お客様の注文や好みを受けて草履の色や大きさ、組み合わせまでを提案し、丁寧に挿げ上げる草履は極上の履き心地です。
    この機会に自分だけの一足に出会ってください。

    〈お問い合わせ〉
    銀座もとじ女性のきもの 03-3538-7878
    銀座もとじ男のきもの 03-5524-7472

    【参考資料】
    ・岸本孝・著 / 市田京子・監修『靴の事典』(文園社)
    ・今西卯蔵・著『はきもの変遷史』(日本履物新聞社)
    ・石元明『近世日本履物史の研究』(雄山閣出版株式会社)
    ・秋田裕毅『ものと人間の文化史104 下駄』(法政大学出版局)

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    金剛草履  曳尾庵『我衣鈔 12巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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