腹膜転移型胃がんに治療効果を示すmRNAワクチンを開発 免疫チェックポイント阻害剤と併用する治療法の確立に期待

調査・報告
2025年8月1日 14:00
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図 mRNAワクチンと免疫チェックポイント阻害剤の併用による、腹膜転移型の胃がんの治療
図 mRNAワクチンと免疫チェックポイント阻害剤の併用による、腹膜転移型の胃がんの治療

近畿大学医学部免疫学教室(大阪府大阪狭山市)准教授 長岡孝治、同主任教授 垣見和宏を中心とした研究グループは、東京大学先端科学技術研究センター(東京都目黒区)、東京科学大学総合研究院(東京都千代田区)、大阪大学感染症総合教育研究拠点(大阪府吹田市)、東北大学大学院薬学研究科(宮城県仙台市)、星薬科大学(東京都品川区)らと共同で、mRNA技術を応用した新しいワクチンを開発し、既存薬である免疫チェックポイント阻害剤※1 と併用してマウスに投与することで、腹膜への転移を伴う胃がんに対して強力な治療効果を示すことを世界で初めて明らかにしました。今後、ヒトへの臨床応用が進み、mRNA技術による個別化がんワクチンの開発につながれば、胃がんだけでなく難治性がんに対する治療の可能性を大きく広げると期待されます。
本件に関する論文が、令和7年(2025年)7月31日(木)に、一般社団法人日本胃癌学会が発行する"Gastric Cancer(ガストリック キャンサー)"に掲載されました。

【本件のポイント】
●マウスの実験モデルにおいて、がん細胞特有のタンパク質を標的とした新たなmRNAワクチン※2 を開発
●mRNAワクチンと免疫チェックポイント阻害剤を併用することで、腹膜転移型胃がんの腫瘍が消失し、転移の予防・治療の両面で有効性を確認
●今後、mRNA技術による個別化がんワクチンの開発によって、難治性がんに対する免疫療法の確立に期待

【本件の背景】
胃がんは、発症率と死亡率がいずれも高いうえ、手術をした場合でも再発することが多く、腹膜転移を起こすと生存期間中央値※3 は4~6カ月と非常に予後が悪いことが知られています。胃がんが再発した場合に最も多く見られる「腹膜転移」は、がん細胞が胃壁を越えて腹腔内にこぼれることにより生じ、がん細胞の種が播かれたように散らばって手術による切除が難しい状態となります。そのため、治療は化学療法が一般的ですが、従来の抗がん剤や免疫チェックポイント阻害剤(抗PD-1抗体)の効果が乏しく、新たな治療法の開発が急務とされています。
近年、がん細胞特有の抗原である「ネオアンチゲン※4」を目印として用いることで、がん細胞のみに選択的な免疫反応を引き起こして攻撃できると注目を集めています。研究グループは令和3年(2021年)の先行研究において、胃がんの細胞から3種類のネオアンチゲンを同定し、それらを標的とするワクチンをつくって、抗腫瘍効果を検証しましたが、効果が十分ではありませんでした。

【本件の内容】
研究グループは、ネオアンチゲンを標的として先行研究とは異なる種類のワクチンをつくり、それを効率的にがん細胞まで届ける仕組みを組み込むことで、胃がんの腹膜転移に対する治療効果を検証しました。
まず、胃がんの細胞をマウスの腹腔に投与して、胃がんの腹膜転移の状態を再現した実験モデルを確立しました。このモデルを用いてネオアンチゲンを見つけ出し、それらを標的とするmRNAワクチンを開発しました。そして、このワクチンを「脂質ナノ粒子(LNP)※5」という非常に小さなカプセルに包んでマウスに投与することで、がんを狙って攻撃するキラーT細胞を強く活性化することを確認しました。さらに、免疫チェックポイント阻害剤「抗PD-1抗体」と今回開発したワクチンを併用してマウスに投与することで、がん細胞の腹腔内拡散を防止し、腫瘍を消失させられることを明らかにしました(図③赤丸部分)。
本研究は、mRNAワクチンと抗PD-1抗体の併用が、従来治療が効きにくい腹膜転移型の胃がんに対して新たな治療法となり得ることを示した世界初の成果となります。本研究成果により、ネオアンチゲンを標的としたmRNAワクチンを用いてがんを攻撃する、新たな治療法の確立が期待されます。また、今後ヒトへの臨床応用が進み、mRNA技術による個別化がんワクチンの開発につながれば、抗PD-1抗体と併用することで胃がん以外の難治性がんに対する免疫療法確立にも応用できる可能性が示唆されました。

【論文掲載】
掲載誌:Gastric Cancer(インパクトファクター:5.1@2024)
論文名:Neoantigen mRNA vaccines induce progenitor‑exhausted T cells that support anti‑PD‑1 therapy in gastric cancer with peritoneal metastasis
(ネオアンチゲンmRNAワクチンは、腹膜転移を有する胃がんにおいて、前駆疲弊T細胞を誘導し、抗PD-1抗体治療の有効性を高める)
著者 :長岡孝治1、中西秀之2、3、田中浩揮4、Jessica Anindita4、川村猛5、田中十志也6、山下雄史6、7、黒田晃弘8、野村幸世5、8、9、秋田英万4、位高啓史2、3、児玉龍彦6、垣見和宏1*
*責任著者
所属 :1 近畿大学医学部免疫学教室、2 東京科学大学総合研究院、3 大阪大学感染症総合教育研究拠点、4 東北大学大学院薬学研究科、5 東京大学アイソトープ総合センター、6 東京大学先端科学技術研究センター、7 星薬科大学薬学部薬品物理化学研究室、8 東京大学大学院医学系研究科/東京大学医学部附属病院、9 星薬科大学薬学部医療薬学研究室
URL :https://doi.org/10.1007/s10120-025-01640-8
DOI :10.1007/s10120-025-01640-8

【本件の詳細】
研究グループが開発したネオアンチゲンmRNAワクチン(neoAg-mRNA-LNP)は、がん細胞特有の変異抗原であるネオアンチゲンをコードするmRNAをLNPに封入して投与することで、以下のような免疫応答を誘導し、がんの増殖を抑制することが明らかになりました。
1.抗原提示とT細胞活性化
ワクチン投与後、mRNAは皮下の樹状細胞(DC)※6 に取り込まれ、細胞内で翻訳されてネオアンチゲンが発現します。このネオアンチゲンはMHCクラスI分子※7 を介して提示され、抗原特異的なCD8⁺T細胞(キラーT細胞)※8 が活性化されました。
2.T細胞の腫瘍浸潤と攻撃
活性化されたCD8⁺T細胞は腫瘍局所へ浸潤し、腫瘍抗原を認識して攻撃し、腫瘍細胞を破壊しました。
3.抗PD-1抗体との併用による相乗効果
抗PD-1抗体と併用することで、腫瘍内では以下の2種類の疲弊T細胞※9 の分化促進が見られました。
・Texprog細胞(前駆疲弊T細胞):自己複製能を持ち、長期的な抗腫瘍免疫を維持する中核的な細胞です。
・Texint細胞(中間疲弊T細胞):Texprog細胞から分化し、抗腫瘍エフェクター機能※10 を発揮して腫瘍排除に貢献します。
一方で、Texprog細胞が存在しない場合、Texint細胞はがんと戦う過程で末期疲弊状態に移行し、機能を失って消滅します。その結果、腫瘍を効果的にコントロールすることができなくなることから、Texprog細胞の維持は、持続的な腫瘍免疫に重要であることもわかりました。
以上のような免疫機構の活性化により、単独療法では得られなかった完全腫瘍排除や再発抑制が実現できることが明らかになりました。本研究成果は、今後、胃がんの腹膜転移に対する新たな治療法確立に貢献するとともに、さまざまな化学療法とneoAg-mRNA-LNPを併用することで、幅広いがんの治療に適応できると期待されます。
本研究は、東京大学名誉教授/東京大学先端科学技術研究センター がん・代謝プロジェクトリーダー(特任研究員)児玉龍彦が推進する「mRNA創薬プロジェクト」の一環として、各研究機関の専門性を生かした共同研究体制のもとで実施されました。星薬科大学教授 野村幸世が樹立したマウス胃がん細胞株を用い、近畿大学医学部免疫学教室主任教授 垣見和宏らが同定したネオアンチゲンを標的に、東京科学大学総合研究院・大阪大学感染症総合教育研究拠点教授 位髙啓史の研究チームがmRNAの調製を行い、東北大学大学院薬学研究科教授 秋田英万の研究チームが脂質ナノ粒子による製剤化を担当しました。近畿大学では、マウス胃がんモデルを用いて治療効果の検証を行うとともに、腫瘍特異的CD8⁺T細胞※11 の誘導や疲弊T細胞(Texprog、Texint、Texterm)の解析、腫瘍浸潤リンパ球の機能評価など、詳細な免疫学的メカニズムを明らかにしました。この連携により、ネオアンチゲン標的のmRNAがんワクチン製剤の開発に成功し、その有効性が明確に示されました。

図 ネオアンチゲンからmRNAワクチンをLNPに封入する流れ
図 ネオアンチゲンからmRNAワクチンをLNPに封入する流れ

【研究支援】
本研究は、AMED(日本医療研究開発機構)および日本学術振興会(JSPS)の支援を受けて実施されました。

【研究者のコメント】
垣見和宏(カキミカズヒロ)
所属  :近畿大学医学部免疫学教室
職位  :主任教授
学位  :博士(医学)
コメント:ネオアンチゲンは、がん患者一人ひとりの遺伝子異常に由来する「がんの目印」であり、個別化された免疫治療の鍵となります。本研究は、mRNA技術を活用して個別化がんワクチンを開発することで、がんゲノム情報に基づくがん免疫治療の新たな可能性を示しました。今後、ゲノム医療と免疫療法を融合させた次世代のがん治療への発展が期待されます。

【用語解説】
※1 免疫チェックポイント阻害剤:がん細胞が免疫細胞の攻撃を逃れる仕組み(免疫チェックポイント)を阻害し、免疫システムががん細胞を攻撃できるようにする薬剤。
※2 mRNAワクチン:遺伝子情報(mRNA)を使ったワクチンで、本研究ではがん細胞特有の目印(ネオアンチゲンなどのがん抗原)を体内で作らせる設計となっている。投与されたmRNAは、体内の細胞にがんの目印となるタンパク質を作らせ、免疫細胞にがんを「異物」として認識させることで、がんを攻撃する免疫反応を引き起こす。新型コロナウイルスワクチンでも用いられた技術。
※3 生存期間中央値:その集団において、50%の患者が亡くなるまでの期間。
※4 ネオアンチゲン:がん細胞に特有の遺伝子変異によって新たに生まれる「がん特有の目印」となるタンパク質の断片。正常な細胞には存在せず、がん細胞にだけ現れるため、免疫細胞ががんを見分けて攻撃する標的になる。がんの個別性に基づいた「個別化免疫療法」の中心的なターゲットとして注目されている。
※5 脂質ナノ粒子(LNP):非常に小さな脂質(脂の一種)でできた粒子で、細胞膜に近い成分から作られる。mRNAなどの遺伝子情報を包み込み、体内の細胞に安全かつ効率的に届ける運び屋の役割を果たす。細胞膜とよくなじむ性質があるため、細胞内にmRNAをスムーズに導入し、ワクチンの働きを助ける。
※6 樹状細胞(DC):抗原提示能力を持つ免疫細胞の一つ。病原体の自然免疫検出と、適応免疫応答の活性化に重要な役割を果たす細胞。
※7 MHCクラスI分子:すべての細胞の表面に存在する「情報提示装置」のような分子。細胞の中でつくられたタンパク質の断片を細胞表面に提示し、異常を知らせる役割を担う。ウイルス感染やがんなどによって変化したタンパク質も提示されるため、CD8⁺T細胞(キラーT細胞)がそれを認識して、異常な細胞を攻撃する引き金となる。
※8 CD8⁺T細胞(キラーT細胞):ウイルスに感染した細胞やがん細胞など、体内の異常な細胞を見つけて排除する免疫細胞。その強力な攻撃力から「キラーT細胞」とも呼ばれ、免疫療法の中心的な働き手として注目されている。
※9 疲弊T細胞:がん細胞やウイルスなどの異物に長期間さらされることで、次第に本来の攻撃力を失ったT細胞のこと。特にCD8⁺T細胞が慢性的な刺激を受けると「疲弊」状態となり、異物を排除する免疫機能が著しく低下する。このような疲弊は、過剰な免疫反応による自己組織へのダメージを防ぐという生体防御の一環として起こることがある。本研究では、前駆疲弊T細胞(Texprog)、中間疲弊T細胞(Texint)、末期疲弊T細胞(Texterm)に分けて観察した。
※10 エフェクター機能:抗体が結合した標的細胞を除去する機能。
※11 腫瘍特異的CD8⁺T細胞:がん細胞にだけ見られる「ネオアンチゲン」などの目印を正確に認識して攻撃できるCD8⁺T細胞。正常な細胞は攻撃せず、がん細胞のみを標的にするため、がん免疫療法において重要な役割を果たす。

【関連リンク】
医学部 医学科 教授 垣見和宏(カキミカズヒロ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/2975-kakimi-kazuhiro.html
医学部 医学科 准教授 長岡孝治(ナガオカコウジ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/3109-nagaoka-kouji.html

医学部
https://www.kindai.ac.jp/medicine/

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