バイリンガルの言語能力を生涯高める脳の可塑性

二言語を操る能力は、それぞれの言語にふれる環境が重要

脳神経のネットワークは、おおよそ完成すると、その人の行動や態度は変わりにくいとされています。ただし、学習や訓練によって、生涯にわたり変化しネットワークが再構築される可能性もあり、それを可能にする柔軟な能力を「脳の可塑性」と言います。ワールド・ファミリー  バイリンガル サイエンス研究所(※以下、IBS)<東京都新宿区  所長:大井静雄>は、この「脳の可塑性」に注目し、論文「バイリンガルの脳は言語接触によって可塑性が生じる:fMRIを用いた追跡調査」をもとに、「二言語を操る能力」における「脳の可塑性」について考察しました。


 

脳の可塑性と言語のコントロール

ある技能を練習すると、その技能に関わる脳領域が変化する、ということは、数多くの研究で報告されています。例えば、ロンドンのタクシー運転手を調査した研究では、道路情報を把握するスキルを毎日「練習」することで、脳の神経系が変化。タクシー運転手は、現在位置や目的地までの経路を把握するために働く、空間の知覚に関わる脳領域における灰白質(※1)の体積が、他の被験者よりも多いことを発見しました。

 

タクシー運転手は、道路情報を把握するスキルを毎日「練習」することで、脳の神経系が変化していました。一方バイリンガルの場合、「二言語を使い続けること」で、言語のコントロールに関わる脳領域の可塑性を変化させます(Costa 2020)。

 

今回の論文(Tu et al. 2015)は、バイリンガルが二つの言語に接触する環境を保つことで、二言語をコントロールしようとする脳の働きを保ちやすくし、少ない労力で両言語をうまく使えるようになることを示す研究です。研究者らは、バイリンガル大学生の脳内に生じる神経学的変化を計測し、これを検証しました。


(※1)かいはくしつ:脳の表面近くでニューロン(神経細胞)の細胞体や神経回路が集まっている領域(Costa 2020, 90)


夏休み期間、言語接触が変化すると脳が変化する

中国の広州市にある大学では、広東語・北京語のバイリンガル学生たちが両方の言語にふれる割合が同程度(広東語50%、北京語50%)でした。しかし大学の夏休み期間は、多くの学生が家族と旅行したり、一方の言語しか話されていない地域へ出かけたりします。その間、学生たちの言語接触は、およそ広東語90%、北京語10%という割合(※2)に変化。研究者たちは、このような言語接触の自然な変化に着目し、自分たちの仮説を検証。

1)両言語(広東語・北京語)の熟達度が高いバイリンガルであること、

2)生まれてすぐから両言語を同時に習得してきたこと(同時性バイリンガル)、

3)それぞれの言語にふれてきた割合がこれまで同程度であること、

という条件に当てはまる学生10人(500人中)を対象に第一言語(広東語)と第二言語(北京語)を切り替えながら無声でナレーションをするタスクを、夏休みの前に1回、30日間の夏休み後に1回行いました。

 

具体的には昼、夕暮れ、夜、を表す3種類の写真を1枚ずつ見せられ、それぞれ30秒以内に、前日のその時間帯に何をしたか、声に出さずに第一言語または第二言語のどちらかで頭の中で語ります(声に出さない)。次に別の絵を見せられたら、また30秒以内に、同様にどちらかの言語を使って頭の中で語る、ということを何回か繰り返します。

 

この言語の切り替えには、言語のコントロールに関わる脳領域を働かせる必要があります。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)による画像で観察したところ、学生たちは生後間もなくから第二言語(北京語)を使ってきて熟達度が高いにもかかわらず、その言語にふれる量が減った30日間のあとは、言語のコントロールに関わる脳領域が以前よりも活動的になっていました。

 

その脳領域とは、「左下前頭回弁蓋部」「左中前頭回」「左尾状核」「左前帯状皮質」で、すべて、言語をコントロールするときに重要な役割を担います。これらの脳領域が「より活動的になる」ということは、一方の言語を使うときに、もう一方の言語を効率的に抑制するため、より多くの労力が必要になっていると、研究者たちは説明しました。

(※2)学生たちへのアンケート調査による自己申告による。


脳が適応するためには、環境が重要な役割を果たす

この研究結果は、短期間(この研究では30日間)であっても一方の言語への接触量が減ると、言語をコントロールする脳領域が一つの言語のみを必要とする新しい環境に適応する、ということを証拠づけるものとして解釈されています。

 

ほぼ一つの言語にしかふれないモノリンガル環境では、言語をコントロールするための神経ネットワーク機能を働かせる必要性が少なくなりますが、その後バイリンガル環境に戻ると時間の経過とともに、また脳が適応します。再び適応するまでは、どちらか一方の言語で話すのが難しい、と感じたり、ふれる機会が減っていたほうの言語で話すと疲れを感じたりするかもしれません。学生たちの脳画像で夏休みから戻ってきたあとの脳活動が多くなっていたのも、言語をコントロールする神経ネットワークが、それぞれの言語環境に適応していたことがその要因の一つです。

 

神経回路がその時々の環境や、日常的な活動に適応できるのは、脳の可塑性によるものです。言語にふれること(インプット)は、その言語を学び始めるときだけではなく、生涯にわたってその言語能力をさらに高め、効率的に使えるようになるためにも欠かせないことなのです。

 

詳しい内容はIBS研究所で公開中の下記記事をご覧ください。


■二言語を操る能力は、それぞれの言語にふれる環境が重要

https://bilingualscience.com/introduction/%e4%ba%8c%e8%a8%80%e8%aa%9e%e3%82%92%e6%93%8d%e3%82%8b%e8%83%bd%e5%8a%9b%e3%81%af%e3%80%81%e3%81%9d%e3%82%8c%e3%81%9e%e3%82%8c%e3%81%ae%e8%a8%80%e8%aa%9e%e3%81%ab%e3%81%b5%e3%82%8c%e3%82%8b%e7%92%b0/


■ワールド・ファミリーバイリンガル サイエンス研究所(World Family's Institute Of Bilingual  Science)

事業内容:教育に関する研究機関

所   長:大井静雄(東京慈恵医科大学脳神経外科教授/医学博士)

設   立:2016年10 月

URL  :https://bilingualscience.com/

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