松澤宥展《Sarira 還り骨》2019を開催  没後12年 いま蘇る Ψの自然と超自然/宥池会コレクションから

GALLERY CELLAR(運営会社:有限会社ファンベック、代表取締役:鍛冶充浩、本社:東京都中央区京橋)では、2019.10.15(火)より「松澤宥展《Sarira(※) 還り骨》2019」を開催いたします。

※「Sarira」の正式表記は、Sとiにアクセント記号がつきます


URL: http://gallerycellar.jp/exhibition_e.html


Ψのマンダラのためのエスキース 1966


Ψ 旅の九名物


■開催概要

展覧会名  :松澤宥展《Sarira 還り骨》2019

       没後12年 いま蘇る Ψの自然と超自然/宥池会コレクションから

会期    :2019.10.15(火) - 2019.11.13(水)

開廊時間  :12:00 - 18:00 日月祝は休廊

レセプション:2019.10.15(火) 17時より

監修    :宥池会/Yuchie Suwa Central

協力    :宗田光一、石川翠

展示予定  :彌生忌御物、橄欖忌御物、二死を視よ 見えない予、

       ああニル荒野における...ほか20数点


■会場概要

会場  :ギャラリーセラー

     東京都中央区京橋3-9-2 宝国ビルB1

     tel:03-6225-2466 E-mail: info@galleycellar.jp

アクセス:京橋駅(東京メトロ 銀座線) 1、2番出口から徒歩2分



■開催趣旨

(まだ)知らないひとと (もう)知っている(つもりの)ひとのための 新しい松澤宥展


1. 松澤宥氏の仕事を再考する

松澤宥氏は「オブジェを消せ」、「人類よ、消滅しよう」、「美術の終焉」など、センセーショナルなコピーとコンセプトを続けざまにぶち上げ、70年代には世界のアート・シーンを文字通り席巻しました。80年代以後は「量子芸術」という異次元の美の概念を提唱しますが、12年前、周囲の理解がおよばぬうちに忽然と他界してしまいます。「コンセプチュアル・アートの世界的な創始者」として祭り上げられていますが、本当に松澤宥とは一体何ものだったのか?今後、何ものであろうとしているのか?あらためて、みなさんと自分自身に問いたいと考えました。


2. それは「コンセプチュアル」だったのか?

ギャラリーセラーでは、物理学者・数学者は数式・理論、アーティストは作品、という違いはあるにせよ、自身の思考と意識をどこまで先に飛躍させることができるのかによって、その仕事の真の価値が決まるという点がとても似通っていると考えています。ノーベル賞を受賞した多くの研究は発表時には、ごく一部の識者からしか理解されず、真の評価がされるのに、数十年の時間を必要とします。偉大なアーティストの思想や仕事も同様で、理解することがとても難しく、私たち画廊はアーティストの仕事に対して真の理解ができないまでも、なにかが存在することに気づく存在でいたいと思っています。このような観点から松澤氏の仕事を考えた時、1964年以前の詩作・絵画・オブジェ、1964年以後の観念美術、1980年代初頭以後の量子芸術と多岐にわたる玄妙な全体から、いわゆる「コンセプチュアリズム」的な部分だけを取り出して、すまし顔をしている、そんな識者のやり方にいささか疑問を感じていました。彼らは何らかの理由から、アニミズム的な妖しさと、壮大な宇宙論的がドッキングした松澤氏ならではの魅惑には眼をつむり、欧米のモダニズムの流れに無理にフィットさせようとしてきたのではなかったでしょうか?


3. 「宥池会 Matsuzawa Collection」に出会う

そんなことを考えていた時、宥池会の方々との思いがけない出会いがありました。聞けば、この結社は、もう半世紀以上も松澤氏の仕事を「物心両面で支え」、「アイディアや情報を提供」し、「制作補助・資料整理・文献の蒐集また分析」などを人知れず続けてきたシンクタンクとでも呼べるものでした。特に、1998年の長野県内での大回顧展以後は、《Ψ2 胎蔵》という未公開《作品》群を一種の危機管理から分散して保管しており、2006年の没後は、松澤氏の仕事の意味をより正しいかたちで世界に普及させる方法を模索中と伺い、これにはとても衝撃を受けました。


4. 本展では未公開《作品》を展示

本展では、宥池会のご厚意により、「宥池会-松澤コレクション」から、長らく秘められてきた松澤氏の仕事の一端を展示紹介させていただく機会を得ました。いまなお、多くの後進たちに有形無形の影響をあたえつづけるカリスマ的現代アーティスト・松澤宥氏の実像に迫ろうとするこの企画は、今後、数年にわたって開催の予定です。



※宥池会(Yuchie Suwa Central)

1950年代はじめ、長野県岡谷市にて、前衛芸術を標榜する団体「RATIの会」の分派として創設。旧名「宥の会」(1998年に宥池会に改称)、2004年まで松澤宥の営為を物心両面で全面的にサポートする。その結果、当会は「宥池会-松澤コレクション」として膨大な《作品》、文書、資料を保有し、国内外に数名の《大使》、3人の《鑑定員》を擁するに至る。2006年の没後、その実像を世界に報知する方法を模索している。

所在は日本国長野県神州・諏訪市。



■作家略歴 松澤宥(まつざわゆたか、Matsuzawa, Yutaka)

1922年2月2日、長野県諏訪郡下諏訪町に生まれる。1946年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業、49年から 諏訪実業高校定時制下諏訪分校で数学の教諭となる。52年、第4回読売アンデパンダン展、第12回美術文化協会展に出品。54年、美術文化協会を脱退。55年、ウィスコンシン州立大学よりフルブライト交換教授として招聘され、翌年から57年までコロンビア大学にて現代美術、宗教哲学を研究した。64年には、「オブジェを消せ」という啓示を受けたとされ、66年には「人類よ、消滅しよう行こう行こう」という言葉を生み出し、垂れ幕にして会場に展示するなどのパフォーマンスを続けた。そうした活動は、瀧口修造、中原佑介、針生一郎等の美術評論家達の注目するところとなり、70年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展に参加することとなった。71年には、樹上小屋「泉水入瞑想台」を完成させるなど、従来の発表活動からも離れた独自の創作活動を続けた。76年のヴェネツィア・ビエンナーレ、77年のサンパウロ・ビエンナーレにも参加。88年には『量子芸術宣言 芸術のパラダイム・シフト』を刊行。その後、1994年、山口県立美術館、97年、斉藤記念川口現代美術館、2004年に広島市現代美術館で個展が開催された。また、82年、富山県立近代美術館での「第1回現代芸術祭 瀧口修造と戦後美術」展をはじめとして、戦後美術から現代美術までを「回顧」する各地の美術館の企画展にも、たびたび取り上げられ、その先駆性と特異な位置が検証されている。同時に、02年の東京都現代美術館、04年の豊田市美術館など、現代美術を通して現代の状況を捉えようとするグループショーにも積極的に参加していた。自宅でもある下諏訪の「プサイ(ギリシャ語のψ)の部屋」と名付けられたアトリエは、過去に制作された情念的なオブジェ等で埋まり、そのなかで松澤は半世紀近くにわたり東洋的な宗教観、宇宙観、現代数学、宇宙物理学等を組み入れながら思考を深め、そこから導き出された思想、観念そのものを芸術として表現しようとした。その点から日本における「コンセプチュアル・アート」の先駆的な存在とされているが、現代美術にあってそうした位置づけにとどまらない、「芸術の終焉」を見つめようとした思想性をもった希有な芸術家であった。

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