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旭桐グループ代表 陸平のインタビュー記事を 「人民日報海外版日本月刊」にて公開

日本華商の新進気鋭 多角経営で新たな時代を描く

旭桐グループ代表 陸平のインタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開しました。


旭桐グループ代表 陸平 


不動産企業、日本語学校、および起業支援機関の三大事業が会社成長の三つの柱となり、新たな業務として開拓しようとしているのが中古ブランド品ビジネスだ。上海から降り立ってわずか3年、日本社会においてはまだ「旭桐グループ」の名前はあまり知られていないようだ。しかし、若き旭桐グループは、2024年に行われる「郭徳綱・于謙 2024ワールドツアー」名古屋公演のメインスポンサーとして、日本の華人社会で新たな伝説の幕開けとして高い注目を浴びた。


徳雲社で聞いた笑い声がいまだ耳に残っている。本誌編集長は名古屋を訪れ、地元文化産業の発展を全力で支援し、より多くの文化クリエイターを育てると語る旭桐グループの陸平代表と対談し、新世代の華商が中国文化の海外進出を推進してきたストーリーを探った。



■道が険しい程見渡す景色は美しくなる

「日本は、秩序ある安定した発展を遂げているんです」。インタビューの冒頭で、日本へ赴くきっかけについて話すとき、陸平代表はそう述べた。


異国で新しい経営スタイルを構築し、新しい社交システムを構築する中で、陸平氏は日本への投資と事業展開を「ある意味では断捨離」と表現した。上海で生まれ、上海で育った陸平氏は、多くの年月を株式の二次流通市場に費やし、豊富な投資経験を積み上げてきた。しかし、二次流通市場は収益が大きい反面、リスクも大きかった。日本への投資と事業展開を選んだのは、日本が「責任が明確な投資、秩序ある操作」が行われていると見なし、市場体系と金融体系が健全かつ、金融政策が持続的であることに加え、金融体系がオープンであり、企業寿命が長いと考えたからだ。


「同業他社は敵ではない」、これは陸平氏が日本式ビジネスに対する最も直観的な洞察だと言えるだろう。経済は水のごとく、大河噴流、山を越え、岩を貫通しながら、美しい風景を作り出す。産業協会の存在により、日本産業における上流と下流の構造が安定しており、顧客層は企業やブランドに対する信頼が非常に高い。おそらくこれが、日本で数多く存在する、百年以上続く「老舗」企業が生き残っている理由の一つと言えるだろう。逆に、中間を省いたメーカーとの直接コンタクトを追求するだけでは、コストの節約にはつながるが、潤滑剤や連結軸を無視したことで、安定性を低下させてしまう。


日本市場の新規参入者として、陸平氏は比較的高いハードルを飛び越える必要があるが、このことを非常に楽観的に受け止めている。彼はこれこそが新規参入者の力量を試すものであり、また日本の各産業が健全で安定した発展を保証する一因でもあると考えている。日本社会において、強者こそが尊重される。強い信念を持ち、時に方向を転換し、正しい方法を選び取ることで、日本市場における信用を勝ち取ることができると彼は信じている。



■中部地方の限りない潜在力

名古屋を選んだのは、陸平氏は日本の中部地域の安定かつ強靭な発展の展望に価値を見出したからだ。名古屋は中部地域の政治、経済、文化の中心地でありつつ、軍事的な価値と歴史的意義も際立っている。日本の戦国時代では、この地域は兵家必争の要所であり、城の変遷が繰り広げられた。近現代においては、トヨタグループ、三菱化学などを代表とする自動車産業、航空宇宙、特殊鋼、鉄道機関車などの産業が盛んに発展している。新中国成立後、ここは中日卓球外交の発祥地ともなった。旭桐グループのいくつかの主柱事業は、名古屋の既存の産業構造と産業の優位性と密接に関連しているのだ。


名古屋は各地を繋ぐ重要な地理的メリットも有している。名古屋から新幹線に乗って大阪までわずか50分、京都まで約30分とアクセスが良い。また、建設中のリニア中央新幹線により、名古屋から東京への所要時間が40分に短縮される予定となっている。将来的には、旭桐グループは既存の事業基盤を活かし、大規模な物流システムを構築し、IoT技術を活用して、日本の運輸力不足などの問題を補完する計画を立てている。



■社会発展の最大のネックは人材

陸平氏は、オーストラリアやニュージーランドなどの国々とは異なり、日本にはお金を投資すればビザが得られるという制度は存在しないと率直に話してくれた。日本の経営・管理ビザを例に挙げると、この資格は納税などの社会的な責任を重視しており、申請者には雇用創出や消費拡大などの要件が求められる。


旭桐グループ傘下の起業支援機関である行政書士法人パートナーは、人材が豊富で強い実力を有している。行政書士、司法書士、税理士、社労士から弁護士まで、さまざまな専門家が各レベルのニーズに対応している。旭桐グループが運営するシェアオフィスは、申請者のニーズを満たしている。抽象的なところから具体的な内容まで、大まかな流れから詳細まで、一連のサービスを提供する完璧なサードパーティーサービスチェーンが形成されている。行政書士法人パートナーの専門家の支援を受けて、ある高度人材ビザ対象者は、申請書提出から審査合格までわずか4日であった。


かつて日本で実施されていた技能実習生制度では、外国人労働者は3年ごとに帰国する必要があり、日本への帰属意識を形成するのが難しいとされていた。しかし、特定技能外国人の新制度は、外国人労働者に対してより多くの誠意を示している。旭桐グループ傘下に入った平成国際教育学院は、20年以上の歴史を有する日本語学校だ。異なる国籍、人種、文化の留学生に対して平等に、友好的な学習機会を提供し、国際的な視野を持ち、日本語と日本の価値観を習得した柔軟な人材を育成している。将来的には、旭桐グループは泌尿器などの臨床医学分野での研究資源を活用し、徐々に人材育成体系を拡充し、継続的な教育を受け入れ、再就職の機会を求める外国人労働者にプラットフォームを提供する予定だ。


快適な生活ができるからこそ仕事に打ち込める。日本の不動産に対して風見鶏であったり、悲観的な見方を持っている人々は、概念上の誤解や盲点が存在している。実際は、日本の不動産市場は「失われた30年」を経て淘汰され、安定した好循環の発展段階に入っている。近年、日本のGDPはプラス成長を示し、日経平均株価はバブル崩壊前の水準に回復している。しかし、不動産は日本のGDP全体の割合から見て、目立つ割合を占めていない。


日本社会は長期的な安定状態にあり、日本の不動産の賃貸収益比は合理的かつ、キャッシュ・フローも健全だ。同時に、日本は賃貸が主流の消費習慣を持つ社会であり、住宅やオフィスなどの不動産の空室率は比較的低い水準にある。これらの要因が、日本の不動産市場に安定した持続可能な発展の基礎を築いている。


陸平氏が買収する前、株式会社スマイル不動産は日本の在留外国人向けに仲介サービスを提供することを主要な事業としていた。資本注入後は、用地の取得、不動産のデザインと開発、物件管理などに事業領域を拡大し、経営構造の転換をスムーズに達成した。同時に、海外のネットワークを積極的に構築し、顧客層の大幅な増加を実現している。陸平氏が株式会社スマイル不動産を取得した翌年には、売上高が20倍という素晴らしい成績を達成した。



■個人の趣味を原点とした多文化交流事業

アンティーク家具を街中で探し回ることは、陸平氏にとって旅行における大きな楽しみの一つだった。そしてその興味は徐々に中古ブランド品に及んだ。旭桐グループの自社ビルは現在建設中で、中古ブランド品を扱う旗艦店もその中に開設される予定だ。数多くのヨーロッパやアメリカの古き珍品に刻まれた悠久なる時間の物語は、二人の工芸品に詳しい若い従業員による発掘と選別を経て、運命の人にこそ渡り、その美しさが長く伝えられることだろう。


経営範囲を拡大する当初の意図は、もちろん個人的な興味と無関係ではないが、日本社会は成熟したコレクションとオークション制度を維持していることが、陸平氏が「異分野に進出」する根本的な理由となっている。彼のような経験豊富な投資家は、無謀な戦いを挑むことはしない。


多様な文化交流は地域安定の基礎であり、国際関係の触媒であり、また人々が心安らかに暮らし仕事にいそしむための、社会の繁栄と発展の潤滑油でもあるのだ。ハイブランド品のコレクションに投資することも同様で、徳雲社の日本公演のスポンサーになったことも同様である。


自分が途方に暮れたり、プレッシャーを感じた時、徳雲社の相声(漫才)と王徳峰師匠の禅宗の説法が自分に癒しとエネルギーを与えてくれたと、陸平氏は語る。彼はこの特別な経験をより多くの人と共有したいと考えている。


何の懸念もなく、旭桐グループがスポンサーとなった徳雲社の日本・名古屋公演は、成功を収めた。伝統的な漫才がもたらした笑い声が名古屋に残り、中国文化の基盤も異国で静かに育まれている。


中国文化が海外へ船出し、世界を魅了している。これにより、世界は中国をより深く理解し、中国を好むようになるだろう。友好的かつ開かれた環境のもとで、新しい時代の中国の物語を生き生きと語ることは、華商の新進気鋭の若者の自覚であり彼らの使命ともなっている。



■編集後記

旭桐グループ傘下には数多くの企業と従業員がおり、それぞれ楽しく調和のとれた小さな家庭を代表している。インタビューが終わりに近づく中、将来への展望を投げかけた時、陸平氏は殊更に強調して語った。まず第一に、会社はこれらの従業員に対して責任を持たなければならないとし、彼らを良い未来に向けて導く責任があると述べた。その上でこそ、華僑・華人社会およびほかの企業へより多くのサービスを提供していくことができるのだと語った。


彼のように趣味や好みを事業に転じることができたのは幸運であり、さらには信念であるともいえる。傘を広げることで収益の増加と、傘を支える責任を両立させ、自己の望みと社会への貢献を調和させた。この実直で謙虚な若手華商への、次なるインタビューが待ち遠しくてならない。

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