「相米慎二 最低な日々」没後20年。9月9日の命日に、映画監督・相米慎二、幻のエッセイが出版化

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    2021年8月23日 10:20
    「相米慎二 最低な日々」
    「相米慎二 最低な日々」

    「相米慎二 最低な日々」(著者 相米慎二)の出版が決定しました。

    2001年9月9日、相米慎二監督は、亡くなりました。53歳でした。今年は没後20年の年となります。相米監督は1994年から1995年にかけて月刊誌でエッセイを連載していました。もはやファンの間でも幻となっていたそのエッセイが、27年の時を超えて、2021年の現代に蘇えります。発売は、相米慎二監督の命日である9月9日。生きていられれば73歳でした。

    本書「相米慎二 最低な日々」はご自身初の著作となります。その内容は、相米慎二監督のファンなら頷ける世界観であると共に、時にその次元を超えた摩訶不思議な相米慎二ワールドが展開しています。

    「あとがきにかえて」ということで、「あとがき」は俳優の永瀬正敏が担当。本書のことはもちろん、「ションベン・ライダー」での出逢いからの日々とその想いを綴ってくれます。

    永瀬正敏(本書「あとがきにかえて」から抜粋)

    「僕と相米のオヤジ(僕はいつの頃からか彼をオヤジと呼んでいたので、以下その呼称で続ける)の関係性は、映画監督と一俳優というものをはるかに超えていて、本当の血縁関係における父と息子のようなものだった(と勝手に思っている)。だから、息子側としては同性の親にまつわるこっぱずかしさが常にあり、会うと八割は不真面目な言葉を投げあった。ただ、ふとした瞬間にオヤジから出てくる重い言葉が会話の一割、二割あり、結局それが今でもずっと僕の心の中に重く残っている。彼の残したエッセイと一緒。どうでもいいことを書き連ねているんだけど、ラストの締めの一文にオヤジの強い感情が凝縮されていて、その情景が強く浮かんでくる」

    さらに、映画ジャーナリスト・金原由佳がインタビューした貴重な原稿を再録。「相米慎二、自作を語る。」は助監督時代の作品、そして、デビュー作「翔んだカップル」から「夏の庭The Friends」までを語りつくしています。「相米慎二に訊く、50の質問。」は当時の相米慎二の生の姿を伝える一問一答集。

    没後20年の本年2月、渋谷ユーロスペースで行われた「没後20年 作家主義 相米慎二」にはたいへん多くの観客が集まりました。特徴的だったのが、相米慎二を知らないはずの若い世代や女性観客が多かったことです。その人気の高まりから、7月にも横浜シネマリンで上映が行われました。9月11日より渋谷ユーロスペースにて「台風クラブ」の凱旋上映が決定。今後、命日の9月から全国で順次、「没後20年 作家主義 相米慎二」の特集上映の予定があります。

    特集上映日程

    渋谷・ユーロスペース 「没後20年 作家主義 相米慎二」*下記1本を上映
    http://www.eurospace.co.jp/
    上映期間:
    ・9/11(土)~9/17(金) 「台風クラブ」

    富山県・ほとり座 「没後20年 作家主義 相米慎二」*下記3本を上映
    https://hotori.jp/
    上映期間:
    ・9/4(土)~9/10(金) 「台風クラブ」
    ・9/11(土)~9/17(金) 「ションベン・ライダー」
    ・9/18(土)~9/24(金) 「風花」

    相米慎二を過去の監督としてではなく、現代の作家として、未来の作家として、語っていきましょう。そのとき、本書「相米慎二 最低な日々」は最良のテキストとなるはずです。

    「相米慎二 最低な日々」
    著者:相米慎二
    9月9日(木)発売開始
    定価:2,750円(税込み)
    書店及びネット書店、「相米慎二」特集上映の劇場にて販売
    発行:A PEOPLE株式会社

    ■著者プロフィール

    相米慎二
    1948年1月13日、岩手県盛岡市で生まれた。父親の転勤で6歳の時に北海道標茶町に転居し、58年に父親を失う。その後小学校5年の時に札幌市、中学3年の時に釧路市に移る。北海道釧路江南高等学校を卒業し、中央大学文学部に進学、72年同大を中退、長谷川和彦の口利きで契約助監督として日活撮影所に入所した。長谷川や曽根中生、寺山修司の元で主にロマンポルノの助監督を務めた。助監督時代には杉田二郎のペンネームも用いている。1976年にフリーランスとなる。80年、「翔んだカップル」で映画監督としてデビュー、81年、「セーラー服と機関銃」で興行的な成功を収めた。1982年6月、長谷川和彦、根岸吉太郎、黒沢清ら若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」)を設立。85年の「台風クラブ」は第1回東京国際映画祭(ヤングシネマ)でグランプリを受賞。その後、93年の「お引越し」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。同作は第46回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品された。98年の「あ、春」は1999年度キネマ旬報ベストテンの第1位に選出されたほか、第49回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。2001年、小泉今日子主演の「風花」を発表。01年6月、体調不良のため病院で検査を受けて肺癌を告知され、同年8月中旬より療養生活を送り、同年9月5日に容体が急変し、9月9日16時10分に神奈川県伊勢原市の病院で死去した。53歳没。同年1月公開の「風花」が遺作となった。葬儀は9月14日に築地本願寺にて営まれた。没後は青森県三戸郡田子町相米地区にある先祖代々の墓に埋葬され、同地区には「相米慎二慰霊碑」が建立された。

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