映画『仁義なき戦い』『二百三高地』『大日本帝国』等で 知られる脚本家、笠原和夫による書籍 『笠原和夫 日本人の戦争 ─戦争映画ノート』が12月8日に刊行!
日本人かく戦えり──戦争を知らない日本人に告ぐ。 脚本家・笠原和夫の遺言。解説・佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
SLOGAN(株式会社スローガン、代表:熊谷 朋哉)は、日本を代表する映画脚本家、笠原和夫による書籍『笠原和夫 日本人の戦争 ── 戦争映画ノート』を2025年12月8日に刊行することをお知らせします。

日本人の戦争・表紙帯付
本書は、誰もが知る『仁義なき戦い』シリーズとともに、『二百三高地』や『大日本帝国』といった傑作戦争映画の脚本を手がけた笠原氏による、戦争に関連する書籍未収録原稿を一冊の書籍に編んだものです。
いわば戦史を通した日本人論ですが、この内容は、現在のような状況下、読まれる価値の大変高いものといえます。
焼跡のシェイクスピアによる、徹底した聞き取りと情報の精査に基づく、熱く、しかし冷徹で、さりながらあらゆる立場でそう生きざるを得なかった人々への理解と共感と痛みに満ちたこの書籍を、ぜひ一人でも多くの方々にご一読いただければ幸いに存じます。
書籍内容は下記のとおりです。
なお、序文「戦争ドラマの勧め」の前半を末尾に紹介致します。
日本人かく戦えり──。『仁義なき戦い』『二百三高地』『大日本帝国』『博打打ち 総長賭博』等で知られる日本を代表する脚本家にして焼跡のシェイクスピア──笠原和夫が遺した日本人/戦争論。過去の戦争における日本人の実像から、“新たな戦前”と来たるべき戦争の行方を占う。解説は佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
【内容】
日露戦争開戦 司令官・大山巌/旅順要塞攻略戦/旅順攻防150日 映画『二百三高地』シナリオ構成メモより/武器なき戦い/苦渋の宣戦布告と「忠臣」東条英機/ミッドウェー海戦/ソロモン攻防戦/山本五十六元帥の死/「強将」宮崎繁三郎と「インパール」/吉田茂 「日本分割」を防いだ知られざる苦心惨憺/付録:鼎談 笠原和夫 × 荒井晴彦 × 尾原和久
■著者について
笠原和夫[かさはら・かずお]【著】
1927年、東京生まれ。新潟県長岡中学を卒業後、海軍特別幹部練習生となり、大竹海兵団に入団。1954年、東映株式会社宣伝部に常勤嘱託として採用され、1958年、脚本家デビュー。以後、皇族関係者からやくざ、テロリスト、右翼から左翼までと、幅広い対象に綿密かつ膨大な取材・調査を重ね、次々と日本映画界に活を入れる、リアリズム重視の話題作・問題作を発表した。代表作に、『日本侠客伝』シリーズ、『博奕打ち 総長賭博』、『日本暗殺秘録』、『仁義なき戦い』四部作、『二百三高地』、『大日本帝国』、『226』等がある。2002年、死去。

著者・笠原和夫ポートレート1
出版社 :スローガン
著者 :笠原和夫
編集 :高橋賢、並木智子
デザイン:渡部伸(SLOGAN)
発売日 :2025/12/8
寸法 :188 × 127 mm
ページ数:424
ISBN :978-4-909856-20-3
Cコード :C0021
価格 :¥3,200+税
■序文
【戦争ドラマの勧め──笠原和夫】
太平洋戦争について、わたしは、いまだによくわからないことがある。
あの破滅的な戦争に国を導いた当時の指導者の大部分は、陸海軍の将官と参謀と呼ばれる高級将校たちであった。この人たちは、全国の秀才のなかから何十倍という競争率を突破して陸軍士官学校や海軍兵学校に入り、さらにそのなかからまた何十倍かの競争を経て選抜され、陸軍大学校や海軍大学校で最高教育を受けた、文字どおり秀才のなかの秀才たちであった。
それほど頭のいい人たちが、なぜ国力の実情も認識できずに、超大国のアメリカを敵に回すようなことをしたのだろうか。
開戦のとき、わたしは中学二年生だったが、「日本が負ける」と断言したことを覚えている。
理由は簡単――そのころわたしは、父親に連れられてよくアメリカ映画を観ていたのだが、そのなかに出てくる自動車の数が、当時東京の街で見かけられた車の数より圧倒的に多い―という、ただそれだけの理屈からであった。そして結果は、そのとおりになった。
凡庸な中学二年生の頭でも容易に見通せることが、 どうして年功を積んだ秀才中の秀才たちに見通せなかったのだろうか。これはまったく不思議というほかはない。
もちろん、資源量や工業生産力についての詳しい調査結果は、政府の手もとにも整えられてあった。それを読めば一目瞭然、勝つはずのない戦争であることは、わかりきっていたにもかかわらず、である。
なぜか――ひとつには、明治憲法で規定された天皇の軍隊親政という呪縛で、政府、官僚機構(軍人も含めて)ともに、活発な論理性、柔軟性を欠いて、形式的な手続きを踏むことだけが政治のすべてであった、ということ。だが、それにもまして着目すべきことは、「自存自衛のためのやむをえざる開戦……」という言葉で示されるように、日本民族特有の〈情緒衝動〉とでも呼べるような感情の昂揚が、勝つか負けるかという理性的な判断よりも先に、わが秀才中の秀才たちをとらえてしまったということである。
当時の将星のなかで、反戦の立場を貫いたとされている山本五十六元帥でさえ、連合艦隊司令長官のポストに就くと、「はじめの半年か一年は随分暴れて御覧に入れる」などと勇み足の啖呵を切って、開戦論者たちを安心させてしまっている。国情を熟知している軍のトップなら、間違っても口に出してはいけないことだ。
東北大教授・池田清氏の名著『海軍と日本』のなかで引用されている、アメリカのジェームズ・フィールド教授の指摘では、日本軍の敗因は、「現代戦の膨大かつ複雑な諸作戦で成功を得るのに不可欠な高度の平凡性が不足していた」ことにあるとされている。
つまり、わかりきってることを、そのとおりにしなかったのである。石油もなく、貧弱な工業力しかもたない国情をひと目みれば、アメリカとの戦火を避けるためにこそ、徹底して知恵を絞らなければならなかった。しかし、わが秀才中の秀才たちはアメリカに勝てる途がないわけではあるまいと、その卓抜した頭脳を駆使して高等数学のような作戦理論を積み重ねていったあげく、なんとか勝てる、という結論を引き出してしまった。それは仮定のうえに仮定を、さらにそのうえにまた仮定を積みあげてできた計画だから、現実のちょっとしたズレでもたちまち崩壊してしまう砂上の楼閣のようなものであった。
なぜ、わかりきっている現実認識のうえに断乎として踏みとどまれなかったのか。それが日本人の〈情緒衝動〉に由来するものだ、とわたしは思う。
使命感とか義務感(当時は大義という言葉を使った)とかに駆り立てられて〈願望〉という情緒が先走ってしまい、「イザとなったら神風が吹く」というおよそ非合理極まる夢想に陶酔して、それを自己確認するために知恵を絞って無理な計算を組み立ててゆこうとする。冷静に現実を見つめ、客観的な分析と展望を述べようとする者には、「大義のなんたるかを心得ない卑怯者」の誹りを浴びせる。欧米人からみれば、まったくあべこべの考え方をするのが、日本人の特性らしい。
「日本人ぐらい楽天的な民族はない」とアメリカの軍事学者が驚いているほどである。
以上は戦前の話であるが、現代に当てはめてみてもあまり笑えた話ではない、と思うのはわたしひとりの勘違いだろうか。(…)
















