貝たちが繰り広げる情報戦―這った跡を使った捕食者と被食者の戦い―

本図では、黒色が被食者、青色が捕食者の軌道を示す。左上の軌道は被食者が回転行動を行っていない場合、右下の軌道は回転行動を行った場合を示しており、回転行動の有無に応じた移動軌跡と、それに対する捕食者の反応が確認できる。
【概要】
和田葉子 宮崎大学農学部助教と、佐藤拓哉 京都大学生態学研究センター教授、野田隆史 北海道大学大学院地球環境科学研究院教授、井田崇 奈良女子大学研究院自然科学系准教授、岩谷靖 近畿大学工学部教授は、海岸に生息する捕食者の巻貝と被食者の笠貝を対象に、両者が移動時に残す粘液の跡を互いの情報として利用し、行動を変化させていることを明らかにしました。
本研究の成果は、生物がその場に残す残存情報が、捕食者―被食者間相互作用の形成・維持に関与している可能性を示しており、潜在的かつ網羅的な種間相互作用の把握や形成・維持機構の解明に向けた重要な基盤研究となります。
本研究成果は、2026年3月18日に、国際学雑誌「Journal of Animal Ecology」にオンライン掲載されました。
【背景】
捕食者と被食者の関係は、お互いの体の特徴や行動がどのように進化してきたかに大きく関わっています。多くの動物は、わざと、あるいは知らないうちに、自分の存在を示す情報を周りに残しています。たとえば、尿や糞、食べた痕跡、死骸などは、その動物がいなくなった後も環境中に残ります。
このように活動後にも残る情報は、餌を取る上での成功しやすさに影響する可能性があります。捕食者は被食者が残した手がかりを見つけることで、より効率良く餌を見つけられます。一方で、被食者も捕食者が残した手がかりを利用して、うまく逃げたり近づかないようにしたりすることができます。この捕食者と被食者のあいだで行われる情報をめぐる駆け引きのうち、活動後に残る情報の双方向利用に注目した研究は、これまであまり行われてきませんでした。
貝は、腹足という大きな足の部分を地面などにくっつけながら、ゆっくりと這うようにして移動します。この移動の仕方によって、木に登ったり、波が強い岩の上を動いたりすることができます。這うためには、ぬるぬるした粘液を出すことが欠かせません。そして、移動した後には、その粘液の跡が残ります。この粘液の跡には、どんな個体やどんな種類の貝が通ったのかという情報が含まれている可能性があります。
では、捕食者や被食者がお互いにお互いの粘液の跡を利用して相手を見分けたり、それによって行動を変えたりするのでしょうか?
【研究手法・成果】
本研究では、捕食者である巻貝のイボニシ Reishia clavigeraと、被食者である笠貝のキクノハナガイ Siphonaria siriusの間に、粘液の跡を介した情報戦が存在するかどうかを検討しました。両種は活動時間がずれているにもかかわらず、本被食者は本捕食者によって高頻度で捕食されています。被食者は、活動時間外は岩を削って形成した家で過ごし、捕食者の接近時にはそこから逃避するため、活動中に残存する捕食者粘液(古い粘液)と、逃避時に遭遇する捕食者粘液(新しい粘液)の両方に出会う可能性があります。
まずは、捕食者は同種の粘液よりも、被食者の粘液をより追跡するのではないか、被食者は同種の粘液よりも捕食者の粘液をより避けるのではないかという予測を立て、実験1を行いました。捕食者および被食者が、それぞれ捕食者または被食者の粘液跡に遭遇した際の移動行動を調べました。ガラス板上を各個体に這わせた後、野外での活動時間の差を想定して約1時間置き、その後、捕食者と被食者をそれぞれ粘液跡の近くに配置しました。
その結果、捕食者は、粘液跡が存在する場合、特にそれが被食者によって残されたものであるとき、より直線的に移動し、被食者の最終到達点に高い割合で到達しました(図1左上の軌道)。このことから、捕食者は被食者の軌跡を追跡する傾向があると考えられます。
一方、捕食者の粘液に遭遇した被食者は、その場での回転行動が増加し(図1右下の軌道、 図2B)、方向転換の頻度も高まりました。その結果、出発点から最終点までの直線距離はほとんど変化しませんでしたが、総移動経路は長くなりました(図2A)。
ここで、2つの疑問が生じました。1点目は、被食者が捕食者の古い粘液と新しい粘液に遭遇した際に回転行動を変化させるのか、2点目は、その回転行動が捕食者による被食者粘液の追跡を阻害するのかという点です。
そこで実験2では、捕食者粘液の新旧が被食者の回転行動、およびその後の捕食者による被食者粘液の追跡行動に及ぼす影響を検討しました。捕食者を這わせた直後の粘液に被食者を遭遇させてその行動を観察し、さらに塗布後1時間経過した粘液への捕食者の追跡行動を評価しました。最後に、実験1および2の結果を比較し、捕食者粘液の有無および新旧が、被食者の行動とそれに対する捕食者の追跡行動に与える影響を検証しました。
その結果、捕食者の粘液跡が存在すると、古い場合でも新しい場合でも、粘液跡がない場合に比べて被食者の回転数は増加しました(図3B)。また、この回転数が増えると、捕食者が被食者粘液の最終点に到達する確率が低下しました(図4A)。さらに新しい捕食者の粘液に出会うと、一部の被食者が回転行動に加えてより広い範囲へ移動し、移動距離が長くなりました(図3A)。移動距離が増加し、被食者粘液の出発点と最終点の直線距離が長くなるほど、捕食者がその最終点に到達する確率はさらに低下しました(図4B、C)。
以上の結果から、被食者である笠貝は段階的な戦略を採用している可能性が示唆されます。まず回転行動によって自らの軌跡を分かりにくくし、捕食リスクが高い場合には移動範囲を拡大することで、防御効果を高めていると考えられます。
【波及効果、今後の予定】
本研究は、捕食者と被食者の間に、粘液跡のような残存情報を介した双方向のやりとりが存在することを示しました。この結果は、空間的・時間的なずれを伴って残る情報が、種間相互作用の形成に重要な役割を果たしている可能性を示唆しています。
進化学的には、情報の検出能力や検出されないようにする行動が自然選択の対象となりうることを示唆します。もしこれらの形質に遺伝的基盤があるならば、情報の利用と回避をめぐる相互作用は、共進化的な変化を引き起こす可能性があります。これは、視覚や形態に基づく軍拡競争とは異なる、「情報」に基づく進化的エスカレーションの存在を示唆するものです。
残存情報は哺乳類、昆虫、軟体動物など多様な分類群で見られるため、本研究の枠組みは他の生物群にも応用できる可能性があります。自然環境では、多数の種が複雑な情報ネットワークを形成していると考えられるため、残存情報の双方向的利用という視点は、生態系全体の相互作用を理解するうえで重要な手がかりとなりえます。
今後は、複雑に絡み合う情報ネットワークの中で、残存情報がどう使われているのか明らかにする必要があります。
【研究プロジェクトについて】
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(科研費)(課題番号JP18J00175, JP20K15874, JP24K18192).(研究代表:和田葉子)の助成を受けて実施されました。
<研究者のコメント>
とてものんびり動いている貝たちが移動すると、そこには粘液の跡が残ります。この粘液跡は、単にその場にとどまるだけでなく、這った個体の情報を伝え、さらには微生物の餌にもなり得ます。雨の日は少し憂鬱になることもありますが、かたつむりが這っていたら、その粘液の跡を観察してみてください。もしかすると、他の生物が利用しているかもしれません。本研究は、産後、研究生活に戻ってすぐに始めたものです。保育園からの呼び出しや、そろわないデータ、メモにならないメモ、集中できなかったり寝かけていたり落ち込んでいたり…、研究の過程にもまた、多くの失敗と試行錯誤の"痕跡"が残っています(和田葉子)。
<論文タイトルと著者>
タイトル:Tracing the Battle: Role of Mucus Trails in Information Warfare between Predator Snail and Prey Limpet (軌跡が生む攻防:捕食性巻貝と被食性笠貝における粘液跡を介した情報戦)
著者 :Yoko Wada, Takashi Noda, Takashi Y. Ida, Yasushi Iwatani, and Takuya Sato
掲載誌 :Journal of Animal Ecology
DOI : 10.1111/1365-2656.70235
URL : https://besjournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1365-2656.70235
<参考図表>



【関連リンク】
工学部 ロボティクス学科 教授 岩谷靖(イワタニヤスシ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/2920-iwatani-yasushi.html

















