プレスリリース
白内障手術は、なぜこの形になったのか
―水晶体再建術の歴史から考える【前編】―

はじめに ― 白内障手術は「水晶体再建術」である
白内障手術は、日本で年間200万件以上行われる、最も成功率の高い手術の一つです。
しかし現在の安全性は、数千年にわたり「光を取り戻したい」と願った患者さんと、その願いに応えようとした眼科医たちの試行錯誤の上に成り立っています。
白内障手術は、単に濁りを取る手術ではありません。
私は学生や研修医に説明するとき、白内障手術を「水晶体再建術」と呼ぶことがあります。
水晶体の役割は大きく二つあります。
一つは、光を通す「透光機能」。
もう一つは、ピントを合わせる「屈折機能」です。
そのため、白内障手術の本質は、
「光路の再建」
と
「屈折の再建」
にあります。
今回の前編では、人類がどのように「光路の再建」を追求してきたのかを紐解いてみたいと思います。
1. 白内障手術の出発点は「光を通すこと」だった
現在の白内障手術は非常に高い成功率を誇ります。
しかし、その歴史は決して平坦ではありません。
むしろ白内障手術の歴史とは、
「どうすれば安全に光を通せるようになるのか」
を追い求め続けた歴史と言ってよいでしょう。
古代インドや古代ギリシャには、すでに白内障手術の記録があったとされています。
当時行われていた代表的な方法が「墜下法(couching)」です。
白く濁った水晶体を針で眼内の奥へ押し落としてしまう手術でした。
現代の感覚ではかなり大胆な治療ですが、理屈としては間違っていません。
濁ったレンズが視軸から外れれば、光は再び網膜へ届くからです。
つまり墜下法は、
「光路の再建」
だけを目的とした手術でした。
しかし、当然ながら問題もありました。
水晶体は単なるレンズではなく、眼内の構造を支える重要な組織です。
それを眼内に落としたままにすると、炎症、眼圧上昇、緑内障、網膜障害など、様々な合併症を引き起こします。
「光が通ること」と「安全に見えること」は、同じではなかったのです。
2. 「落とす」から「取り出す」へ ― 水晶体嚢内摘出術
そこで登場したのが、水晶体嚢内摘出術です。
英語ではICCE、intracapsular cataract extractionと呼ばれます。
これは水晶体を袋ごと丸ごと摘出する術式でした。
濁りそのものを取り除くことができるため、墜下法より理想的に思えます。
しかし、新たな問題がありました。
水晶体の後ろには硝子体があります。
硝子体はゼリー状の組織で、そのさらに奥には網膜があります。
水晶体を袋ごと摘出すると、硝子体が前方へ脱出しやすくなります。
その結果、網膜へ余計な力が加わり、硝子体出血、網膜剥離、脈絡膜出血などの重篤な合併症が生じました。
現代の網膜手術が存在しない時代において、これは失明に直結する問題でした。
ICCEは、濁りを取り除くという意味では前進でした。
しかし、眼球の奥にある硝子体や網膜を守るという点では、まだ大きな課題を抱えていたのです。
3. なぜ袋を残すようになったのか ― 水晶体嚢外摘出術
そこで眼科医たちは考えました。
「濁っているのは袋ではなく、中身ではないか」
この発想から生まれたのが、水晶体嚢外摘出術です。
英語ではECCE、extracapsular cataract extractionと呼ばれます。
水晶体の袋は残し、中身だけを摘出する。
現在の白内障手術の原型とも言える考え方です。
この変化によって、硝子体や網膜への負担は大きく減少しました。
それまで大きな問題であった網膜剥離の危険性が低下し、白内障手術の成績は飛躍的に向上しました。
しかし、まだ課題は残っていました。
ECCEでは、濁った水晶体の核をそのまま取り出す必要があります。
そのため、10mm前後の大きな切開が必要でした。
大きな創口は術後乱視の原因となります。
また、縫合不全や感染症の危険性も高まります。
さらに、眼球を大きく開放する時間が長くなるため、現在では極めて稀となった駆逐性出血、すなわち脈絡膜からの大出血という重篤な合併症のリスクも抱えていました。
つまりECCEは、
「網膜を守る」
という課題を大きく前進させた一方で、
「もっと小さな傷で手術できないか」
という新たな課題を残したのです。
白内障手術の歴史は、単に濁りを取る歴史ではありません。
「眼球構造をいかに壊さずに済ませるか」
を追求してきた歴史でもありました。
4. 現代手術の核心 ― 超音波乳化吸引術
現在行われている白内障手術の主流は、超音波乳化吸引術です。
英語ではPEA、phacoemulsification and aspirationと呼ばれます。
超音波で水晶体を細かく砕き、吸引して取り除く方法です。
ここで重要なのは、
「砕くこと」
そのものではありません。
本当の目的は、
「小さな傷で済ませること」
です。
昔の手術では、レンズを塊のまま取り出す必要がありました。
そのため、大きな切開が必要でした。
一方、超音波で細かく砕いてしまえば、わずか2mm前後の切開から摘出できます。
傷が小さければ、術後乱視は少なくなります。
創口も安定しやすくなります。
感染や出血のリスクも下げることができます。
回復も早くなります。
つまり超音波乳化吸引術とは、
「濁りを取る技術」
というより、
「眼を傷つけずに濁りを取り除く技術」
なのです。
5. 白内障手術で最も重要な操作 ― CCC
手術動画を見ると、最初に水晶体前面の膜を丸く切り取る操作があります。
Continuous Curvilinear Capsulorhexis、略してCCCと呼ばれる操作です。
日本語では連続円形前嚢切開と呼ばれます。
一般の方には、地味な工程に見えるかもしれません。
しかし白内障手術の成否を左右する、非常に重要な技術です。
水晶体の袋は極めて薄い膜です。
その薄い膜を、途中で裂けないように連続した円形に切り取ります。
なぜ円形でなければならないのか。
それは、残った袋を強固で安定した支持組織として使うためです。
白内障手術では、水晶体の中身を取り除いた後、その袋の中に眼内レンズを入れます。
つまり水晶体嚢は、濁りを取り除いた後の「空き袋」ではありません。
人工レンズを長期にわたり安定させるための、大切な土台なのです。
CCCは、単に穴を開けている操作ではありません。
未来の見え方を支える土台を作っている工程です。
6. なぜ後嚢を残すのか
白内障手術では、水晶体の後ろ側の袋、つまり後嚢を原則として残します。
これにも理由があります。
後嚢は、眼内レンズを支える構造であると同時に、前方の手術操作と後方の硝子体・網膜を隔てる境界でもあります。
この境界が保たれていれば、硝子体が前方へ動きにくくなります。
硝子体への余計な牽引が減れば、網膜への負担も少なくなります。
白内障手術は、濁りを取る手術であると同時に、
「眼の奥を守りながら行う手術」
でもあるのです。
網膜を診てきた立場から言えば、この点は非常に重要です。
目の表側で行っているように見える白内障手術でも、その影響は目の奥に及び得ます。
だからこそ、眼球全体の構造を理解したうえで、安全に光路を再建する必要があります。
7. 白内障手術は構造物を守る手術へ進化した
墜下法の時代は、
「とにかく光を通す」
ことが目標でした。
ICCEでは、
「濁りそのものを取り出す」
ことが可能になりました。
ECCEでは、
「袋を残して硝子体と網膜を守る」
という発想が入りました。
そしてPEAでは、
「小さな傷で眼球構造を壊さずに濁りを取り除く」
ところまで進化しました。
現代の白内障手術は、単に手先の技術だけで成り立っているわけではありません。
角膜を守る。
硝子体を守る。
網膜を守る。
眼球全体の構造を守る。
その上で、光路を再建する。
これが現代白内障手術の本質です。
手術が簡単になったのではありません。
先人たちの工夫によって、より安全な形へ進化してきたのです。
次回 ― 屈折の再建へ
今回の前編では、白内障手術を「光路の再建」という視点から見てきました。
しかし水晶体には、もう一つ重要な役割があります。
それが「屈折」です。
白内障手術は、濁りを取っただけでは終わりません。
どの眼内レンズを選ぶのか。
どの度数を選ぶのか。
なぜ単焦点、多焦点、焦点深度拡張型という選択肢が生まれたのか。
なぜ眼軸長や角膜形状によって度数計算が難しくなるのか。
なぜAIが眼内レンズ計算に使われるようになったのか。
後編では「屈折の再建」という視点から、眼内レンズと度数計算の進化について解説したいと思います。

医療法人社団久視会 いわみ眼科
理事長:岩見 久司(医学博士・日本眼科学会認定 眼科専門医)
所在地:兵庫県芦屋市公光町11-2 CH158 BLDG HANSHIN ASHIYA 2F
公式サイト:https://iwami-eyeclinic.com/
TEL:0797-35-0183