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報道関係者各位
プレスリリース

2020.05.27 10:00
徳島大学ポストLEDフォトニクス研究所

徳島大学ポストLEDフォトニクス研究所の安井 武史教授、南川 丈夫准教授、水野 孝彦特任助教、陳杰(チェン ジェ)元特別研究生、新田 一樹元博士前期課程学生らと、北京航空航天大学(中国)の鄭錚(ヂォン ヂォン)教授、リトラル・コート・ド・パール大学(フランス)のフランシス・ヒンデル教授の国際共同研究グループは、テラヘルツ・コム※注1に基づいたガス分光で高精度性と汎用性を両立する技術の開発に成功しました。


テラヘルツ波※注2は極性ガス分子の回転運動による吸収が現れる周波数領域に位置し、各種の揮発性有機化合物ガス※注3がこの周波数領域で特徴的な吸収スペクトルを示すことから、揮発性有機化合物ガスの分光分析手段として期待されています。特に、極めて正確で精緻な櫛の歯状スペクトルを持つテラヘルツ・コムを用いた分光法(デュアル・テラヘルツ・コム分光法※注4)は、高い分光精度(高確度、高分解能、広帯域)を備えていますが、テラヘルツ・コムの発生及び検出のためには周波数安定化制御された特殊なレーザーを2台利用する必要があり、光源部が複雑・高価格であるために汎用性を損ねていました。一方、デュアル光コムファイバーレーザー※注5は、1台のレーザーで2つの光コムを発生させることが可能である上、周波数安定化制御が不要であるため、光源部の簡素化・低価格化を可能にしますが、レーザー非制御による周波数揺らぎのため、デュアル・テラヘルツ・コム分光法の高い分光精度を犠牲にしなければなりませんでした。


上記の課題を解決するため、本研究グループは、デュアル光コムファイバーレーザーとアダプティブ・サンプリング法※注6を融合したデュアル・テラヘルツ・コム分光装置を開発しました。この分光装置では、デュアル光コムファイバーレーザーの周波数揺らぎを検出し、その揺らぎに基づいてスペクトル波形の歪みを補正することにより、分光精度の低下を防ぎます。本手法により、高い分光精度と汎用性を兼ね備えたデュアル・テラヘルツ・コム分光法が可能になり、大気環境汚染のモニタリングに役立つと期待されます。


本研究は、JST戦略的創造研究推進事業(グラント番号:JPMJER1304、詳細は以下参照)と内閣府 地方大学・地域産業創生交付金事業(徳島県「次世代“光”創出・応用による産業振興・若者雇用創出計画」、詳細は以下参照)の他、文部科学省 科学研究費補助金 基盤研究(A)(課題番号:26246031)の一部支援を受けて行われました。


本研究成果は、2020年5月27日午前10時(日本時間)に国際光工学会(The International Society for Optics and Photonics)の電子ジャーナル「Advanced Photonics」で公開されます。


本成果は、以下の事業・研究プロジェクトの支援によって得られました。

【科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)】

研究プロジェクト:「美濃島知的光シンセサイザプロジェクト」

研究総括    :美濃島 薫(電気通信大学 情報理工学研究科 教授)

研究期間    :平成25年10月~平成31年3月

本プロジェクトは、光波の時間、空間、周波数、位相、強度、偏光など全てのパラメーターを自在に操作でき、さまざまな応用に使えるところまで進化した知的光源を開発し、その未踏な応用分野を開拓することを目指して実施されました。


【内閣府 地方大学・地域産業創生交付金事業】

事業名  :徳島県「次世代“光”創出・応用による産業振興・若者雇用創出計画」

中心研究者:安井 武史(徳島大学ポストLEDフォトニクス研究所 所長/教授)

研究期間 :平成30年10月~令和5年3月

本事業は、目に見えない次世代の光「深紫外光」「赤外光」「テラヘルツ波」に関する実用光源の開発と応用展開(ポストLEDフォトニクス研究)を通して、創造的超高齢社会と地域産業振興に貢献していくことを目標としています。



<ポイント>

■大気汚染の要因である揮発性有機化合物ガスを迅速に分析することが重要

■極めて正確で精緻なテラヘルツ・コムを用いた分光法(デュアル・テラヘルツ・コム分光法)は、揮発性有機化合物ガスの高精度分析に有用であるが、利用するレーザーが複雑で高価なため、汎用性を損ねていた

■デュアル光コムファイバーレーザーは光源部の簡素化・低価格化を可能にするが、デュアル・テラヘルツ・コム分光法の高精度性を犠牲にしなければならなかった

■デュアル光コムファイバーレーザーとアダプティブ・サンプリング法の併用により、高精度性と汎用性を兼ね備えたデュアル・テラヘルツ・コム分光法を実現した

■これまで複雑・高価な特殊レーザーを利用しないと観測できなかった揮発性有機化合物ガス吸収の圧力依存性を、簡素・低価格なレーザーを用いた装置で明らかにした



<研究の背景>

現在、光化学オキシダント、浮遊粒子状物質、シックハウス症候群、化学物質過敏症を始めとした大気汚染の状況はいまだ深刻な状況にあり、これらによる健康被害が数多く報告されています。これらを発生させる主要な原因の1つとされているのが、揮発性有機化合物ガスです。揮発性有機化合物とは、揮発性があり大気中でガス状となる有機化合物の総称です。トルエン、キシレン、アセトニトリルなど溶剤や燃料として重要な物質であることから社会で幅広く使用されていますが、大気環境へ放出されると公害などの健康被害を引き起こします。このような背景から、揮発性有機化合物ガスの定性・定量分析法が強く求められていますが、捕集サンプル中に混在する多数のガス分子やエアロゾル(ガス中に浮遊する固体または液体の微粒子)が、揮発性有機化合物ガスの分析を困難なものとしています。例えば、代表的なガス分析手段であるガス・クロマトグラフィーは、極めて高感度ですが、測定時間が長く、不要なガス分子を除去するためのサンプル前処理が必要です。また、赤外吸収分光法を用いると迅速な計測が可能になりますが、多数のガス分子が混在する混在ガス状況下では、分子内振動に起因する吸収線スペクトルが非常に多く現れるため、ガス分子の同定が困難になります。したがって、サンプル前処理を必要とせず、各種の揮発性有機化合物ガスを迅速かつ高精度に分析する技術が強く望まれています。



<研究の経緯>

テラヘルツ領域(周波数0.1~10テラヘルツ、波長30~3000マイクロメートル、図1)は、極性ガス分子の回転運動による吸収スペクトルが現れる特徴的な周波数帯であり、赤外領域で観測される分子内振動スペクトルの代わりに、テラヘルツ領域で観測される分子回転スペクトルを利用することにより、より高い分子選択性と検出感度が期待できます。また、テラヘルツ波の波長と散乱粒子サイズの関係から、エアロゾルによる散乱の影響を受け難いという特徴もあるため、エアロゾルが混在する状況で、揮発性有機化合物ガスを簡便かつ迅速に同時分析する手段として期待できます。

テラヘルツ領域にひしめきあうように存在している様々なガス分子の吸収線から、対象の揮発性有機化合物ガスを正確に識別し定量するためには、極めて正確で精緻な櫛の歯状スペクトルを持つテラヘルツ波(テラヘルツ・コム、図2上段)を用いた分光法(デュアル・テラヘルツ・コム分光法、図2下段)が有効です。テラヘルツ・コムの発生及び検出には周波数安定化制御された特殊レーザーを2台利用する必要がありますが、このレーザーは光源部が複雑で高価格であるため、各種の応用展開の障害となっていました。近年、光源部の簡素化・低価格化を可能にする技術として、デュアル光コムファイバーレーザーが開発されました。このレーザーは1つの共振器で2つの光コムを発生させることが可能で、周波数安定化制御が不要です。しかしながら、レーザー非制御による周波数揺らぎのため、デュアル・テラヘルツ・コム分光法の高い分光精度(高確度、高分解能、広帯域)を犠牲にしなければなりませんでした。



<研究の内容>

本研究では、デュアル光コムファイバーレーザーを用いたデュアル・テラヘルツ・コム分光法に、アダプティブ・サンプリング法を適用することにより、高い分光精度と汎用性を両立しました。デュアル・テラヘルツ・コム分光法では、直接計測困難なピコ秒テラヘルツ・パルス列(テラヘルツ・コムの時間波形)を、非同期光サンプリング法により、ある比率(時間スケール変換係数)でスローダウンされたマイクロ秒電気パルス列信号として取り込みます(図3(a)上段)。取り込んだ時間波形をフーリエ変換して電気コムを得た後、その周波数スケールを時間スケール変換係数の逆数で補正することにより、テラヘルツ・コムのスペクトルを取得します(図3(a)下段)。しかし、デュアル光コムファイバーレーザーを用いた場合、レーザー非制御による周波数揺らぎのため、時間スケール変換係数は時々刻々と変化し、時間スケールに歪みが生じます。その結果、マイクロ秒電気パルス列の時間波形が歪み(図3(b)上段)、その歪みが電気コムやテラヘルツ・コムの周波数スケールにも伝搬して、分光精度の低下につながります(図3(b)下段)。そこで、時間スケール変換係数の変動を反映した信号(アダプティブ・クロック)を生成し、その信号に同期して信号取り込みを行うことで、時間スケールの歪みを補正し、時間的歪みの無いマイクロ秒電気パルス列信号を取り込みます(アダプティブ・サンプリング法、図4右図)。その結果、デュアル光コムファイバーレーザーを用いても、分光精度の低下を防ぐことが可能になります。

開発した装置の有用性を確認するため、10連続ピコ秒テラヘルツ・パルス列の時間波形取り込みでアダプティブ・サンプリング法を用いない場合と用いた場合とを比較しました(図5)。ここでは、10万個の時間波形を連続取り込みし、それらを積算した場合の時間波形を示しています。アダプティブ・サンプリング法を用いない場合には時間スケールの歪みにより積算時間波形がほぼ消失していますが(図5上段)、アダプティブ・サンプリング法を用いた場合にはテラヘルツ・パルス列の時間波形が明確に確認できており(図5下段)、有効であることが分かります。

次に、化学工業製品の原料や分析化学用の溶媒として広く使われ、揮発性有機化合物ガスの1つであるアセトニトリル・ガスを計測しました。アセトニトリルのガス分子は、テラヘルツ領域において特徴的な吸収線群を示すことが知られていますが、大気圧下ではガス分子同士の衝突により各吸収線が圧力拡がりを示し、それが重なり合ったスペクトルを示します。そこで、アセトニトリル・ガスを低圧ガスセルに封入し、その吸収スペクトルの圧力依存性を評価しました。図6は、アセトニトリル・ガスの圧力を下げていった場合の吸収スペクトルを示しています。青プロットが実測値、赤ラインがカーブフィッティング曲線になりますが、低圧になるに従って各吸収線の圧力拡がりが抑制され、スペクトル形状が俊敏になっていることが確認できます。この実験結果は、開発した装置が、圧力の異なる状態下での揮発性有機化合物ガスを高精度に計測できていることを意味します。デュアル光コムファイバーレーザーを用いた汎用装置で、このような高精度スペクトルを計測したのは、世界で初めてです。



<今後の展開>

本技術によって、デュアル・テラヘルツ・コム分光法の高い分光精度と汎用性が両立可能となりました。将来は、工場や屋外での実用的ガス分析への展開が期待されます。



<資料>

https://www.atpress.ne.jp/releases/213317/att_213317_1.pdf



<用語解説>

注1)テラヘルツ・コム

テラヘルツ・コムは、数千本にも及ぶ狭線幅なテラヘルツ波が等間隔で整然と並んだスペクトル構造を持っています(図2上段)。このスペクトル形状は、櫛(comb)に似ていることから、周波数コムと呼ばれ、2005年ノーベル物理学賞を受賞対象となった技術です。テラヘルツ・コムの周波数間隔は、周波数標準器と同精度に保てるため、これをテラヘルツ・スペクトルの周波数目盛りとしてガス吸収線の位置(周波数)を観測することにより、極めて高精度なガス分析が可能になります。


注2)テラヘルツ波

テラヘルツ波は、光波と電波の境界に位置し、その両者の性質(直進性、低散乱性、分光測定やイメージング測定が可能など)を持っています(図1)。また、極性ガス分子や結晶構造物質などがテラヘルツ領域において特徴的な吸収スペクトルを示すため、テラヘルツ分光法が新しい物質分析手段として注目されています。


注3)揮発性有機化合物ガス

常温常圧の大気中で容易に揮発する有機化学物質の総称のことであり、溶剤や燃料として幅広く使用されています。大気中へ放出されると、光化学オキシダントや浮遊粒子状物質といった大気汚染、あるいはシックハウス症候群や化学物質過敏症の健康被害の要因となります。


注4)デュアル・テラヘルツ・コム分光法

テラヘルツ・コム(図2上段)は、周波数が高い上に、目盛り間隔が極めて細かいため、従来のテラヘルツ分光計では読み取ることができませんでした。しかし、デュアル・テラヘルツ・コム分光法を用いると、テラヘルツ・コムの周波数スケールをテラヘルツ(10の12乗ヘルツ)からメガヘルツ(10の6乗ヘルツ)まで正確に小さくできるので、一般の計測機器で高速計測することが可能になります(図2下段)。


注5)デュアル光コムファイバーレーザー

通常の光コムファイバーレーザーは、単色の光コムを出力し、レーザー制御により光周波数を安定化します。一方、デュアル光コムファイバーレーザーでは、波長の異なる2色の光コム(デュアル光コム)を同時に出力することができます。さらに、デュアル光コムが同一のレーザー共振器を共有しますので、デュアル光コム間の周波数揺らぎが相殺され、レーザー制御を行わなくても、適度な周波数安定性を得ることができます。


注6)アダプティブ・サンプリング法

図3(b)に示すように、非制御レーザーを用いた場合、レーザー周波数揺らぎにより時間スケール変換係数が時々刻々と変動するので、ピコ秒テラヘルツ・パルス列信号が時間的に安定であったとしても、スローダウンされたマイクロ秒パルス列信号は時間的に歪むことになります。ここで、図4に示すように、時間スケール変換係数の時間揺らぎを反映した信号(アダプティブ・クロック)で同期を取りながら信号取り込みを行うことにより、時間波形の歪みを補正し、分光精度の低下を抑制することが可能になります。

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